ときわ台天祖神社
東京都板橋区ときわ台に鎮座する天祖神社。鎌倉時代ころの創建と伝わり、江戸時代には「神明社」と呼ばれて、川越街道の上板橋宿の鎮守だった。境内の一角に富士山遥拝所が設けられており、毎年七月二十一日には「冨士祭」が行われる。写真はその祭典の模様である。白装束に身を包んだ行者が遥拝所の前で神事を執り行い、地域の氏子たちが参列している。
江戸の富士講の講中は、白衣に白股引・白脚絆をつけて菅笠をかぶり、念珠と金剛杖を手に、「六根清浄」の懸け念仏を唱えながら先達に従って山を登った。
板橋にも早くから富士講の信者がいた。食行身禄の門人には「武州板橋平尾町の人」永田長四郎(行名は長照)の名が見え、天保九年(一八三八)の須山村の道者帳にも、江戸の先達として「板橋大工松五郎」が記されている。富士山の御師たちは、六十年に一度めぐる庚申の縁年に登山を勧める建札を諸国の都市や宿場に掲げた。吉田口の御師が寛政十二年(一八〇〇)と安政六年(一八五九)に出した建札では、掲示先に中山道の板橋も挙がっている。
周辺の村々も吉田口の御師と結ばれていた。御師の小瓶子屋(田辺家)は、江戸時代の終わりに池袋村をはじめとする村々を檀那所に持ち、十条の講も抱えていた。これらの檀那所は明治以降、池袋や金井窪などの講社に組み直されて引き継がれている。












































































































