二ノ宮浅間神社
富士宮市(旧大宮郷)の小高い丘に鎮座する浅間社である。
「二ノ宮」の名は、祭神が浅間大神(木花之佐久夜毘売命)の第二の御子神であることに由来する。江戸時代の記録では、第一の御子神を祀る若之宮(一王子)に続いて浅間大社の末社として挙げられ、神主は本宮の社人である四宮仕の宮崎氏が兼ねていた。大宮郷には、こうして浅間大神の御子神を祀る社が浅間大社を取り囲むように置かれ、大社の祭祀は「年中七十五度」に及んだ。正月十日には、大宮司が山宮での参籠を終えて馬で大宮へ戻る道すがら、金之宮や福知、二之宮、若之宮などの末社を順に拝んだ。これを「地蔵廻り」と呼んだが、地蔵に参るわけではなく、めぐり歩く形が似ていることからついた名とみられている。明治の神仏分離で社名は「二之宮浅間神社」と改められ、明治十年(一八七七年)には浅間大社の摂社と定められた。
境内には富士山から流れ出た溶岩が露出している。溶岩流の末端に浅間神社を置くことは富士山麓に広くみられ、山宮浅間神社が青沢溶岩流の末端に、富士市の今宮浅間神社が大淵丸尾溶岩流の末端に置かれているのもその例である。研究では、浅間神社は噴火を鎮める祈りの場として溶岩流の末端に置かれたと考えられている。
丘の上の境内に、溶岩の露頭が見える。















