先照寺
先照寺は富士宮市青見にある曹洞宗の寺院で、山号を広国山という。『浅間神社の歴史』によれば、応永二年(一三九五年)、富士山本宮浅間大社の第二十三代大宮司・富士成時が、帰依していた純白禅師とともに霊夢に感じて領地の青見に寺を開き、禅師を開山とした。成時は翌年九月に亡くなり、先照寺に葬られている。もとは真言宗の寺で、純白融清が曹洞宗に改めたとも伝えられる。
開基・成時の代から三百年近くにわたり、先照寺は富士大宮司家の菩提寺として歴代当主の葬儀と供養を担った。寺内には第二十一代大宮司・富士直時の位牌が「初代」と記されて安置されており、富士家が直時を家の祖と見なしていたことがわかる。
天正十一年(一五八三年)十月には井出正次が、寺領十貫三百六十文を安堵し、寺内や門前の山林竹木などにかかる諸役を免除した。天正十八年(一五九〇年)には豊臣秀吉から、青見郷で十六石の寺領を認める朱印状を受けている。
寛文年間(一六六一〜一六七三年)、第三十四代大宮司・富士信元は先照寺を離壇し、大宮町に新たに寶積寺を建てた。以後は寶積寺が大宮司家の菩提寺となったが、先照寺は寺院として現在まで続いている。
江戸時代のはじめの公文富士家の当主、能通と能豊も先照寺に葬られている。昭和十九年(一九四四年)の夏の終わりには、東京・荏原区の大原国民学校の三年生と五年生の男子が先照寺に集団疎開し、本堂や坊に寝泊まりして、富丘国民学校で授業を受けた。


















