富士山本宮浅間大社
富士山本宮浅間大社は、全国千三百余社の浅間神社の総本宮である。その創祀は垂仁天皇の御代、富士山麓の「山足の地」で大神を奉斎したことに始まると伝え、山宮(現・山宮浅間神社)を経て、大同元年(八〇六年)に坂上田村麻呂により現在地へ遷座したとされる。その背景には延暦十九年(八〇〇年)の大噴火をはじめとする富士山の激しい火山活動があった。噴火を鎮める水徳の神をまつるため、富士山の伏流水が湧き出す湧玉池のほとりに社を移したと考えられている。現在の社殿は、慶長九年(一六〇四年)に徳川家康が造営を始め、同十一年に落成したものである。本殿は二階建ての楼閣造りで「浅間造り」と呼ばれ、拝殿・幣殿とひと続きになっている。本殿は国の重要文化財に指定されている。
祭神・木花之佐久夜毘売命は、炎の中での出産を無事に果たした伝承から「火を制する水徳の神」として富士山信仰に定着した。中世には大日如来の垂迹として「浅間大菩薩」とも呼ばれ、修験者たちの霊的な拠りどころにもなった。
境内の湧玉池は国指定特別天然記念物。富士山の雪解け水が溶岩の間から澄みきった水を湧かせるこの池で、江戸の富士講道者たちは登山前に水垢離を行い、心身を清めてから山頂を目指した。平安時代の歌人・平兼盛は、この池の水を「浅間なるみたらし河の底にわく玉」と詠んでいる(『兼盛集』)。
毎年五月四〜六日に行われる五月会流鏑馬神事は、建久四年(一一九三年)、源頼朝が富士の巻狩の際に武運を祈願して奉納したのが起源と伝わる。中世の富士大宮司家は在地の武士としても力を持ち、浅間大社は武家政権とも深く結びついていた。
二〇一三年、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産の構成資産に登録された。

















































































