小御嶽神社里宮

富士吉田市上吉田に鎮座する小御嶽神社の里宮。富士登拝の起点となる御師町・上吉田に置かれ、富士山五合目の小御嶽神社(奥宮)とあわせて祀られている。

主祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)。富士山本宮浅間大社の祭神・木花開耶姫命(このはなさくやびめのみこと)の姉神である。記紀の神話では、姉妹はそろって瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に嫁ぐが、磐長姫命だけが父神のもとへ返され、そのために人の命に限りが生じたと語られる。

奥宮のある五合目付近は、いまの富士山(新富士火山)の下に埋もれた古い小御岳火山の山体がのぞく場所で、小御嶽神社はこの火山の上に建っている。

奥宮は、江戸時代には「小御嶽石尊大権現」の名で知られた。『甲斐国志』によれば、もとは麓の鳴沢村にあった太郎坊の小祠を中腹に移したもので、享保のころまでは小さな社だったが、その後信仰を集めて社殿も立派になったという。奥宮には大天狗と小天狗が祀られている。

『富士の歴史』によれば、小御嶽は享保のころから盛んになり、本道から道を枉げて参詣する道者が増えた。奉納される神器も大きさを競い、刃渡り二尺八寸、重さ百八貫目(約四百キロ)、柄の長さ一丈二尺(約三・六メートル)の斧や、長さ六尺五寸(約二メートル)の剣があったという。吉田口では五合五勺に小御嶽へ通じる道があった。下山の「走り」は八合目から五合五勺の「砂払い」まで砂とともに駆け下り、そこから左へ行けば小御嶽、右へ行けば中宮に出た。

江戸時代の初めには、船津から胎内を経て小御嶽・五合目へと登る道があったが、吉田口が栄えるにつれて、道者の多くは船津から吉田口へ回るようになった。文化七年(一八一〇年)には、船津から小御嶽へ出る道をめぐって吉田と河口の御師が争い、和解の証文が交わされている。

現在「富士山五合目」として知られる富士スバルラインの終点は、この小御嶽の地にある。スバルラインが開通した昭和三十九年(一九六四年)以前、奥宮へは歩いて登るしかなかった。先代の宮司の経験談として伝わる話では、スバルラインの開通前、宮司は祭礼に用いる「案(あん)」を担いで吉田口の方まで下り、登ってくる道者にお札を配ってまわったという。

里宮の境内には、樹林に囲まれて素朴な木造の鳥居が立つ。