山宮浅間神社
山宮浅間神社は、富士山本宮浅間大社の「元つ宮」と伝わる古社である。社伝によれば、景行天皇の御代、東征中の日本武尊が野火の難にあった際に富士の神の加護を得たことから、山足の地にあった神霊をこの地に移し祀ったのが始まりという。大同元年(八〇六年)に坂上田村麻呂が大宮の現在地へ浅間大社を遷座させるまで、ここが富士山祭祀の中心であった。発掘調査では、十二世紀前半(第2四半期)の祭祀に使われた土器が見つかっている。
この神社の最大の特徴は、本殿を持たないことである。青沢溶岩流の末端、富士山を正面に望む絶好の地に、溶岩を積んだ石列で区画された遥拝所だけが据えられている。富士山そのものを御神体として仰ぎ、建物を介さずに拝む古い信仰の形が、ここには残っている。村人のあいだには「建物を何度建てても風で倒されてしまう」という言い伝えがあり、社殿を建てない禁忌が長く守られてきたと考えられている。
浅間大社との結びつきを最も象徴するのが「山宮御神幸」である。浅間大社から山宮へ神霊が里帰りするこの儀礼は、戦国時代にはすでに行われていた記録があり、神霊を宿した「鉾」を山宮の祭壇へと運び、富士山を直接拝む神事が毎年四月と十一月に行われていた。鉾は木之行事という役の者が左肩に担ぎ、山宮の御迎坂で迎え火を焚いてから斎場に入った。儀式を終えて大宮へ還るのは午前二時ごろで、帰り道では明かりを一切使わなかったという。この神事は明治六年(一八七三年)まで続き、長く途絶えたのち、近年復活している。山宮を本宮の元つ宮とする考えが、この神事の前提になっている。
参道の杉木立を抜けた先に遥拝所があり、溶岩の石列の向こうに富士山を望む。二〇一三年には「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産として世界文化遺産に登録された。



































































