富士御室浅間神社
山梨県南都留郡富士河口湖町勝山に鎮座する富士御室浅間神社。山中に直接建てられた神社として「山中第一の古社」と称され、富士山中に最初に勧請された浅間神社とされる、富士信仰の根源的な聖地のひとつである。古くは「富士山北室(きたむろ)」「下浅間」とも呼ばれ、地元では「おむろさま」の名で親しまれてきた。
本宮は富士山二合目(標高約一七〇〇メートル)に位置し、吉田口登山道の中腹に座した。山中に直接神を勧請した社としては最古級の歴史を持ち、『延喜式神名帳』(九二七年成立)に記載された甲斐国唯一の名神大社「浅間神社」の有力な比定候補の一つとされる。貞観七年(八六五年)に富士山噴火の鎮祭として建立された「明神祠」がこの社であるとする説も古くから伝わる。山頂を奥宮、山中を本宮、山麓を里宮とする三層構造の中で、本宮は「山中における祈り」の中核を担ってきた。
里宮は河口湖畔の勝山にあり、古くは勝山村を含む七ヶ村の産土神(うぶすながみ)として地域信仰を集めてきた。山中の本宮への参詣を直接行えない人々が、日常の祈りを捧げる場として機能してきた社である。山と里を結ぶこの祭祀形態こそが、山麓からの「遥拝(はるかにおがむ)」から実際に山に登る「登拝(のぼりつつおがむ)」へと信仰が変化していった富士山信仰の核心を体現している。
歴代の権力者からの崇敬も篤かった。室町時代の小林氏による社領寄進、戦国時代の小山田氏による保護のほか、武田信玄(晴信)からはとりわけ熱心な信仰を受けた。弘治三年(一五五七年)には、北条氏政に嫁いだ娘の安産を祈願し、成就すれば登山道の「関鎖(関所)」を撤廃することを誓う願文を捧げている。永禄九年(一五六六年)にも安産祈願の願文を寄進した。豊臣秀吉や徳川家康による社領安堵の記録も残る。
現在の里宮にある本殿は、慶長十七年(一六一二年)に当時の領主・鳥居成次によって造営されたもので、国の重要文化財に指定されている。一方、本宮本殿は厳しい山中の気候による腐朽を防ぐため、一九七四年(昭和四十九年)までに里宮へ移築され、現在は里宮と向かい合う形で再建されている。二〇一三年、富士山が「信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録された際、富士御室浅間神社はその構成資産の一つに数えられた。
写真は新緑の境内、参道入口の大鳥居、移築された本宮本殿、里宮本殿、そして神牛の石像。山中と里を行き来した千年余りの祈りの記憶が、樹々の静かな呼吸の中に折り重なっている。





