忍野八海
忍野八海は、富士山の伏流水が湧き出す八つの池の総称である。富士山に降った雨や雪は溶岩に染み込み、地下を流れてここで湧き出す。
忍野の盆地は、もとは富士山の噴火による堰止湖だった。溶岩がせき止めてできた大きな湖は「宇津湖」と呼ばれ、いまの山中湖と忍野村、梨ヶ原の一部にまたがっていたと考えられている。のちに水が桂川へ抜けて湖は干上がり、湖底から湧く泉が八つの池として残った。
八つの池は、出口池・お釜池・底抜池・銚子池・湧池・濁池・鏡池・菖蒲池である。池ごとに伝説と富士講の歌が伝わり、底抜池には、ここで洗い物をして手放した物は池の底に消えてしまうという話がある。なかでも湧池は八海で最も湧水量が多い。直径約十二メートルの逆円錐形の池で、中央にある径一メートルほどの穴から、年平均十三度の水が勢いよく湧き出す。土地の産土神である忍草浅間神社の祭神はこの池から生まれたと伝わり、祭りでは神輿をこの池で洗い清めるという。八つの泉は桂川の水源で、忍野の飲み水や田の水も支えてきた。
八つの池は、富士講の道者が登山の前に身を清める霊場「元八湖(内八海)」として巡られた。いったん廃れたのを、天保十四年(一八四三年)、甲州市川大門領で富士講の大我講を興した大寄兌孝(友右衛門)らが、忍草村の東圓寺の檀徒とともに再興し、八大龍王を勧請して池ごとに碑を建てた。
昭和四年(一九二九年)には地質学者の石原初太郎が、山梨県の調査報告で八海の地質を調べ、池ごとの伝説や土地の習わしまで詳しく記している。国の天然記念物に指定され、環境庁の「名水百選」にも選ばれている。二〇一三年には「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産として世界文化遺産に登録された。いまは観光客で賑わう池だが、江戸時代の道者たちは、ここで身を清めてから富士山に登った。



















