新倉山浅間公園
富士吉田市の新倉山中腹に広がる新倉山浅間公園。麓に新倉富士浅間神社が鎮座し、山腹に立つ忠霊塔(五重塔)越しに富士山を望む眺めは、富士吉田を代表する景観として知られている。
社の由緒によれば、天文二年(一五三三年)には甲斐国の領主・武田信虎(信玄の父)が扁額を奉納したという。ただし『富士吉田市史』は、この扁額が本来どの浅間神社に奉納されたものかについて、さらに研究を深める必要があるとしている。
新倉の正福寺は浄土真宗の寺で、もとは文明年間に開かれた大正寺と一つの寺だったが、戦国時代の末に分かれたという。真言宗だったころには新倉の浅間神社の別当を務め、富士山の八合目に山小屋を持っていたと伝える。富士山の御縁年には、富士山縁起や富士山宝印、三尊来迎図、八葉九尊図などを頒布しており、延宝年間に作られた版木もあったという。延宝八年(一六八〇年)の「八葉九尊図」は、吉田口の山中の堂社を描いた最も古い絵図ともいわれ、その版木が正福寺に伝わっている。明治六年(一八七三年)には、正福寺を仮の校舎として新倉学校が開かれた。新倉の寺社も、吉田口の富士参詣と結びついていた。
忠霊塔は戦没者を慰霊する塔で、春には桜が山腹を覆い、塔と富士山が一望に収まるこの場所には国内外から多くの人が訪れる。眼下に広がる富士吉田の街は、かつて御師の宿坊が軒を連ねた吉田口登山道の門前町である。


