松山神社
富士宮市元城町(旧大宮郷)に鎮座する松山神社は、富士大宮司家の菩提寺であった寶積寺の守護社として祀られてきた神社である。
寶積寺は寛文年間(一六六一〜一六七三年)、第三十四代大宮司・富士信元が、それまでの菩提寺であった先照寺(曹洞宗)を離壇し、大宮町に新たに建てた寺である。以後、寶積寺は大宮司家の菩提寺となった。武田氏の時代にも、浅間社の供僧を「宝積寺職」に任じた朱印状の写しが残る(『駿河記』所収)。江戸時代の後期には、文政七年(一八二四年)に別当となった玉輪から、円応、慈海、快弁まで四代続けて、寶積寺の住職が浅間大社の別当・宝幢院に移っており、神社の祭祀と深く結びついた寺だった。
明治維新の神仏分離で、この寺も大きく変わった。当時の寶積寺の住職は還俗して松山一角と名を改め、神葬祭に移ったという。寺院としての寶積寺は明治八年(一八七五年)に廃寺となり、大宮司家の祭祀は神道形式の墓所(奥津城)と、松山神社に引き継がれた。現在の富士大宮司家墓所が元城町の旧寶積寺跡地付近にあるのは、この経緯による。
朱塗りの本殿の傍らには、溶岩石に「水」の一字を刻んだ水神碑が置かれている。
























