栄橋稲荷神社
富士宮市(旧大宮郷)の道路脇の高台に鎮座する稲荷社である。石柱に「栄橋稲荷神社」と刻まれ、石垣の上に朱の鳥居と本殿が設けられている。
大宮は、富士山本宮浅間大社の門前町であると同時に、駿河と甲斐を結ぶ街道の宿駅でもあった。戦国時代の永禄九年(一五六六年)、今川氏真は浅間社の門前に立つ月六度の市「富士大宮六度市」を楽市とし、天正八年(一五八〇年)には武田氏が大宮の西町に新市を開いている。
江戸時代の大宮は神田川を挟んで、西が浅間神社領、東が幕府の代官領に分かれ、明治維新まで連雀・青柳と神田・仲宿の二つの町に分かれていた。商家には他国から来た者も多く、天保五年(一八三四年)に酒造を始めた中屋の山中正吉は近江日野の出身と伝わる。幕末には、大宮あたりの半紙や富士の煙草が産地として知られていた。
当社の由緒は記録に乏しいが、こうした商いの町に祀られた稲荷社とみられる。


