甲斐国一宮 浅間神社
山梨県笛吹市一宮町一宮に鎮座する浅間神社。甲斐国の一宮として古くから崇敬を集めた古社で、富士山の主神・木花開耶姫命(このはなさくやびめのみこと)を祭神とし、天津彦火瓊々杵尊と大山祇神を相殿に祀る。『浅間神社の歴史』は、甲斐国の浅間神社の中で最も古く大きい社と考えられるとしている。
社伝によれば、垂仁天皇八年(紀元前二二年)の正月、現在の社地から東へ二十町ほどの神山の麓に初めて祀られ、貞観七年(八六五年)十二月九日に現在地へ移されたという。もとの地には摂社の山宮神社が祀られている。社伝はこの遷座を、『日本三代実録』のこの日の条にある、甲斐国八代郡に浅間明神の祠を立てて官社に列したという記事にあてている。
『延喜式神名帳』に記された甲斐国八代郡の名神大社「浅間神社」がどの社にあたるかについては、昔から諸説がある。『甲斐国志』は、一宮村の浅間明神、高田村の一宮明神、川口村の富士浅間明神の三社に、貞観七年勧請で式内社であるという所伝があることを記録している。富士御室浅間神社や河口浅間神社とともに、古代甲斐の浅間信仰を伝える社である。
戦国時代、甲斐を治めた武田氏の崇敬は篤かった。天文十九年(一五五〇年)には、後奈良天皇が書写した般若心経を、晴信(のちの信玄)が本社に奉納しており、その包紙の上書には「晴信」の署名と花押が残る。信玄は晩年にも寄進を行った。天正十年(一五八二年)に武田氏が滅ぶと、徳川家康は同年十月二十三日、一宮の神領二百貫文を安堵する判物を与えている。
社前には巨大な陽根石が塞神(さいのかみ)として祀られている。明治の社格制度では国幣中社に列せられ、毎年四月の大祭や流鏑馬などの神事が今も続いている。
写真は晩夏八月の境内。大きな石の鳥居から望む随神門、夏越の祓の茅の輪(ちのわ)、拝殿正面、拝殿内に並ぶ武将らしき肖像と古絵図「西宮中浅間神社之景」、摂社の鳥居、手水舎にかけられた素朴な干支絵の幕。












