蔵屋敷稲荷神社

富士宮市(旧大宮郷)の住宅地に鎮座する稲荷社である。「蔵屋敷」の地名は、富士大宮司家の居館・大宮城の城下にあった蔵屋敷に由来するとみられる。

発掘調査によれば、大宮城(元富士大宮司館跡)は十二世紀前半から天正十年(一五八二年)の廃城まで営まれた。十三世紀後半には土塁と堀で囲まれた方形の館となり、十六世紀中ごろには複数の堀をめぐらせている。やがて主郭と二の郭をもつ連郭式の城となり、周りには蔵屋敷や町屋、神田の市をもつ城下・門前町が広がった。発掘は昭和五十九年度から平成十年度にかけて四次にわたり、およそ三千七百平方メートルを調べている。館の下からは五〜七世紀の古墳時代の集落も見つかり、竪穴住居の跡が二十二基確認された。

出土品には青磁や白磁など中国から運ばれた陶磁器が多く、龍泉窯の製品も含まれる。大宮司が、こうした品を手にできる上級の武家でもあったことがわかる。戦国時代の末、今川方の大宮城は武田軍の攻撃を三度しのいだとされるが、永禄十二年(一五六九年)に北条氏の仲介で城を明け渡した。富士氏が武田氏に降ると、城は武田家臣・原昌胤らのもとで修築された。

当社が鎮座する「字蔵屋敷」は、城の追手門があった場所と伝わる。石鳥居の扁額には「稲荷大神」と刻まれ、奥に朱の鳥居と本殿が連なる。