西湖根場

富士五湖の一つ、西湖の西端に位置する根場地区。茅葺きのかぶと造り古民家が復元された「西湖いやしの里根場」が整備され、枝垂れ桜の咲く春には、花と茅葺き屋根と湖が調和する景観が広がる。

西湖の成り立ちは、富士山最大級の噴火の記憶を留めている。かつてこの地には、本栖湖・精進湖とつながる巨大な湖「剗の海(せのうみ)」が広がっていた。平安時代の貞観六年(八六四年)の大噴火で流れ下った溶岩流は剗の海の大半を埋め尽くし、湖は西湖と精進湖に分断された。このとき溶岩台地の上に育った森が、青木ヶ原樹海である。西湖は「西の海」とも呼ばれ、富士講の行者が山麓の湖沼を巡って水行する「内八海巡り」の重要な一地点であった。湖畔に近い竜宮洞穴は龍神の棲む場所と考えられ、日照りの年には近隣の村がこの洞穴の水をもらい受けて雨乞いを行ったと伝わる。

根場は、湖と山に挟まれた斜面に茅葺き民家が立ち並ぶ山村だった。明治三十六年(一九〇三年)の紀行『不二山』には、根場の農夫が、村の戸数はいま三十六戸しかなく、昔は木がよく茂っていたが、炭に焼いて桑を植えたので禿げ山になった、と語ったことが書き留められている。昭和四年(一九二九年)に富士山麓電気鉄道が吉田まで通じると、京浜から五湖を巡る道筋として、船津から舟で長浜へ渡り、歩いて西湖に出て舟で根場へ、根場からは自動車で赤池、また舟で精進へという経路が示された。昭和三十四年(一九五九年)には、根場に県の西湖ユースホステルも設けられている。

その集落は、昭和四十一年(一九六六年)九月の台風による土石流で壊滅し、多くの犠牲者を出した。住民は湖畔の対岸へ移住し、集落跡は長く空き地となっていたが、後年、往時のかぶと造り民家を復元した「いやしの里」として整備され、失われた山村の景観がよみがえった。

西湖は世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産である。