阿蘇山・阿蘇神社・国造神社
熊本県阿蘇の山岳信仰は、阿蘇山を神体山と仰ぎ、阿蘇神社と国造神社を中心に伝えられてきた。富士山に浅間大社と大宮司家があるように、阿蘇山にも山を祀る社と、その祭祀を担ってきた社家がある。
阿蘇山は現在も活動を続ける活火山で、九州の中央に東西約十八キロ、南北約二十五キロの巨大なカルデラを抱く。草千里ヶ浜は、中央火口丘の一つ烏帽子岳の北に広がる、古い火口の跡の草原である。写真は八月十日の朝、霧に半ば包まれた外輪山と草千里ヶ浜、雲間に沈む山影、風に揺れる草の群落。
阿蘇神社は肥後国一宮で、健磐龍命(たけいわたつのみこと)ら阿蘇十二神を祀る。健磐龍命は神武天皇の孫にあたり、阿蘇の湖水を蹴破って農耕の地を開いたとされる開拓神である。宮司家の阿蘇氏は、その子・速瓶玉命(はやみかたまのみこと)の後裔と伝わる。阿蘇家では、宮司の継承は長男長子を基本としてきたという。
戦国期の阿蘇氏は、大宮司であると同時に戦国大名でもあった。天正十三年(一五八五)に島津氏が阿蘇領へ攻め込み、阿蘇氏は大名としての領国を失う。関ヶ原の戦いの後、加藤清正のはからいで阿蘇惟善に所領が与えられ、惟善が阿蘇神社の大宮司となって、阿蘇家は社家として続いた。
駿河の富士氏も、戦国期には今川氏に従って大宮城で武田氏と戦い、永禄十二年(一五六九)に城を明け渡したのち、武田氏に仕えた。大宮司が城を構えて戦い、戦乱ののちも社家として残った点で、両家の歩みは似ている。
国造神社は阿蘇神社の北にあることから北宮とも呼ばれ、速瓶玉命を主祭神とする。深い杉並木の参道、苔むした石灯籠の列、質素な木造の拝殿。境内には、平成三年(一九九一)の台風十九号で折れた大杉「手野のスギ」の幹が、屋根をかけて保存されている。
阿蘇神社の楼門は「日本三大楼門」の一つとされる二層の門である。二〇一六年の熊本地震で拝殿とともに倒壊し、二〇二三年十二月に修復を終えた。修復では、元の部材の約七割が再び使われている。



































