須山浅間神社
静岡県裾野市須山に鎮座する須山浅間神社。富士山南東麓・須山口登山道の起点として、道者と修験者を受け入れてきた社である。
主祭神は木花開耶姫命(このはなさくやびめのみこと)。社伝によれば、日本武尊が東征の折にこの地で富士の神を祀ったのを始まりとすると伝えられる。須山口へは、東海道の木瀬川から北へ入る道のほか、吉原宿から今泉・今宮・十里木を経て須山に至る道もあった。
中世から江戸時代にかけて、村山修験(村山三坊)が行った「富士峯修行」でも、須山口は通り道だった。記録によれば、山伏たちは八月三日の朝に宝永山を東へ横切って須山口中宮浅間に札を打ち、御室丹生明神に札を打って一泊した。翌日からは須山の登山道を下り、須山村の朝日観音で五日間の勤行をしたという。
宝永四年(一七〇七年)の宝永噴火で、須山口の登山道は全滅した。元文五年(一七四〇年)にいったん再興されたが長続きせず、小田原藩の助成を得て、安永九年(一七八〇年)六月にようやく元に戻った。寛政八年(一七九六年)には、石室の扱いなどを定めた掟を村民一同が連判で取り決めている。『富士の歴史』によれば、寛政十二年(一八〇〇年)には須山口から七千三百九十八人が登り、平年千人ほどだったという大宮・村山口を大きく上回った。安永八年(一七七九年)の幕府の裁許で、八合目以上は富士山本宮浅間大社(大宮)の境内と定められている。
明治十六年(一八八三年)に御殿場の有志が御殿場口を開き、のちに東海道線が通ると、須山口の登山者は減っていった。二〇一三年(平成二十五年)、富士山が世界文化遺産に登録された際、須山浅間神社と登山道の一部(標高約一二〇〇〜二〇〇〇メートル付近)は構成資産の一部となった。


